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 本尊:久遠の本師釈迦牟尼仏

 久遠の本師釈迦牟尼仏 詳しくいえば久遠実成本師釈迦牟尼仏。本師釈迦牟尼仏の前に「大恩教主」の形容詞を付けたり、また久遠本仏、本仏釈尊等々いろいろな表現がなされます。が、言わんとするところは一つです。この「久遠本仏」について数多くの解説書がありますが、藤井教公先生の『法華経』下(大蔵出版)の寿量品の解説のところの「久遠の本仏」(795頁〜803頁)がもっとも当を得た解説と思いますので、下の枠内に引用しました。かなりの長文ですが、特に下線部のところだけでもお読みいただきたいと思います。

 
 前章涌出品において、釈迦牟尼仏は大地の下方の虚空界から六万恒河沙という多くの大菩薩たちを召し出された。この多くの菩薩たちは、その昔より、みな釈迦牟尼仏の教化を受けてきたものばかりであるという。この時、会座に列なるすべての人々は、一様にみな深い疑問を懐いた。なぜならば、伽耶城のほとりで仏が成道されてから今に至るまで四十余年なのに、一体これほど多くの菩薩たちを教化されたとはどういうわけか。しかもこの菩薩たちは久遠の昔から無量無辺の仏たちのもとで菩薩道を完成し、常に梵行を修してきたという。これでは、まるで二十五歳の青年が百歳の老人をわが子と呼ぶようなものではないか、と、このように考えたからである。この右(※上)の疑問を一座を代表して仏に問うたのが弥勒菩薩であった。ここまでが前章で説かれたことである。そして、いよいよこの疑問に対する答えが明かされるのが本章寿量品である。

 さて、本章の劈頭、釈迦牟尼仏は、会座に列なる菩薩たち、および一切の大衆に対してこう告げられた。
  「諸の善男子よ、汝等当に如来の誠諦の語を信解すべし。」
と。如来の真実の言葉をまず信じよ、といわれたのである。この同じ言葉を三度にわたって繰り返された(三誠)。それに対して、大衆もやはり三度にわたって「世尊よ、唯願わくは、これを説きたまえ。我等、当に仏の語を信受したてまつるべし」と懇請し(三請)、さらに今一度くりかえして請うた(重請)。仏はこれを承けられて、「汝等よ、諦かに聴け、如来の秘密神通の力を」といわれ(重誠)、これからいよいよ仏の説法が始まるのである。以上のような三誠三請重請重誠のやりとりの後に語られた仏の説法の内容は、これまでの釈迦牟尼仏に対する人々の見方認識をその根底からくつがえすほどの衝撃的なものであった。仏は先の重誠の語のあとにこういわれた。
  「一切世間の天・人、及び阿修羅は、皆、今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。然るに善男子よ、我、実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり。」
と。人々ばかりでなく、神々も阿修羅も、みな今の釈迦牟尼仏が、出家後に伽耶城のほど近くで近時に成道し正覚を得られたと思っているが、実はそうではない。今の仏、釈迦牟尼仏は、はるか久遠の昔に成道し、すでに無量無辺百千万億那由他劫という無限に永い時間が過ぎているというのだ。この仏の説法を聞くまで、あらゆる人々、神々も、阿修羅も、みなすべて、目前の釈迦仏は我々と同じように生まれ、同じように年老いてゆき、やがてこの世から消えてゆくとばかり思っていたのだ。それがそうでなく、実は、はるか昔にすでに成道していたのだといわれる。そして、その釈迦仏の上を過ぎてきた時間は五百億塵点劫という無限に永い時を過ぎること百千万億那由阿僧祇であると説かれ、この間、釈迦牟尼仏は、常にこの娑婆世界にあって説法教化を続けてこられたという。これが従来の仏身に対する見方の一大変革でなくて何であろうか。この寿量品の説法によって、八十歳入滅の現実の釈迦牟尼仏が、永遠の生命を生きる不滅の仏と明かされたのである。この寿量品の説法で明かされた永遠の仏を「久遠の本仏」という。
 本仏とは、迹仏に対することばである。我々と同じように生まれ滅してゆく仏の本源に、永遠不滅の仏があり、この不滅の仏の応現が現実の釈迦仏である、と、こう考えてできたことばである。久遠より不滅の仏は、衆生教化のために種々に身を現じ、「もし衆生有って、我が所に来至するには、我、仏眼を以て、其の信等の諸根を観じて、応に度すべき所に随って、処処に自ら名字の不同、年紀の大小を説き、亦復、現じて当に涅槃に入るべしと言い」と説かれるのである。それ故、永遠不滅の仏を本仏とし、そこから応現して現実に姿をあらわして法を説く仏を迹仏とするのである。しかし、注意しなければならないのは、本仏といい、迹仏といっても、仏に本迹の二仏があるのではないということである。また、永遠不滅なる仏としての本仏がすぐれたものであり、その応現としての生滅の姿をとる迹仏はそれより一段価値の低いものであるとするような優劣論などは、経の意から全く乖離するものである。経にはもともと「本」とか「迹」ということは全然説かれていない。あくまで現実の具体的な釈迦牟尼仏がそのまま永遠不滅の仏であると説かれているのみである。この点は後述するが、ともかく「本・迹」という考え方は、後世、寿量品で説かれた永遠の仏と、現実の仏とをどう考えるかということからいわれたものである。経の原意は、あくまでもこの現実の具体的な釈迦牟尼仏を通して、あるいは釈迦牟尼仏そのものの上に仏の永遠性を見ようとするものである。われわれが、仏について、出世されたとか、入滅されたとか、生滅のすがたのもとに仏を見るのは、それはわれわれが凡夫の眼で仏を見るからである。経はこのことを、「六句知見」といわれる第一、第二句で「如来は如実に三界の相を知見す。生死、若しは退、若しは出あることなく、亦、在世及び滅度の者無し」という。如来のありのままにものを見る眼で見るならば、生死とか、在世・滅度というような生滅の相はなく、本来常住である。それ故、そのような眼をもって仏を見る者には、仏は常に現実の具体的な姿をもって、いつの世にあってもその者の前に在るのである。さて、釈迦牟尼仏は、久遠の昔に成道し、爾来、常にこの娑婆世界にあって、説法教化を続けてきており、その寿命も今なお尽きず、残された寿命の量は、これまでの劫数に倍するという。しかし、今、釈迦牟尼仏は真実の入滅ではなく、方便として仮りの入滅の姿をとって人々にそれを示し、衆生教化にあたるという。それはなぜか。もしも、如来が常住で、つねに世に在って入滅しないというのであれば、徳薄き人々は善根を種えず、五欲に耽溺し、その結果、邪悪な見解の中に堕ちこんでしまう。また、倦怠の心を生じ、仏には遇いがたいのだという想いも、仏を恭敬するという想いも生じないであろうからである。そこで、仏はそのような衆生を救済するために、仮りの滅度を人々に示し、人々の心に仏に対する恋慕を懐かせ、仏を渇仰する心を起こさしめるのである。このように、衆生教化のために真実の滅度ではなく、仮りの滅度を示す、すなわち、不滅の滅を現じるというのが、永遠の生命を保つ釈迦牟尼仏の滅度の意味である。したがって、釈迦牟尼仏が入滅するといっても、それは釈迦仏という存在がこの世から消え去るということではない。仮りにその姿を消すというにすぎない。後の「自我偈」と呼ばれる偈頌には、「我、常に此に住すれども 諸の神通力を以て顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ」とあって、心の顛倒した者には釈迦牟尼仏の姿を見させない、といい、「既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まざる」者には、仏はその姿をあらわすとあるのは、以上のことをいったものである。

 さて、以上のような本章においてはじめて説かれた久遠実成の仏について、これを仏身論の上からどのように考えるかということで、古来さまざまな解釈が行われてきた。仏身論は大乗仏教において、仏のはたらきや属性などの面から仏陀の身体についてさまざまに考究されてきたもので、二身説、三身説、四身説などが段階的に成立した。大体、龍樹のころ(三世紀中葉)には二身説(『大智度論』には、法身と生身とが説かれている)が成立しており、世親(四世紀―五世紀)の『法華論』に至って、三身説があらわれた。三身説にも種々あるが、世親の三身説は、法身・報身・応身の三身説で、これが仏身論では最も一般的に用いられている。法身(dharma- kaya)とは、仏の悟った真理を人格化した仏であり、これは真理そのものを体とする仏であるから常住不変、不滅の真理仏である。したがって、これは無始無終である。この真理仏に対して、現実の肉体を有し、我々と同じく寿命が尽きれば滅する仏を応身(nirmana- kaya)という(応化身・化身とも)。なぜ応身というかといえば、衆生教化のために、真理仏が教化の対象に応じて種々の身体を現じて、ある特定の場所に応現した仏と考えるからである。これは有始有終である。現実の歴史上の釈迦はこの応身仏である。報身(sambhoga- kaya)は、以上の二身を補完する性格のもので、三身中、最も完成した理想の仏とされる。それは、因行果徳身ともいわれるように、仏になるための修行(因行)が完成し、その結果として得られた仏の智慧(果徳)を身体とする仏であるからである。法身は真理そのものを体とするのであるから常住不変で普遍的ではあるが、ここには仏としての人格などの具体性を全く欠いている。応身は、現実的であり、かつ具体性に富んではいるが有限な存在である。しかし、報身は智慧という人格性をそなえるとともに、同時にその智慧は真理という悟りの智慧にほかならないから法身としての性格も兼ねそなえている。それ故、具体性を有しつつ、しかも普遍的であるということから理想の仏陀とされたのである。これはさとりという始まりがあってはじめていわれるものであるから有始であるが、真理の常住性をも有しているから無終である。

 上述のような三身説によって、従来なされてきた寿量品の本仏についての解釈をみてみると、まず中国では、天台智以前と以後とでは大きな解釈上の隔たりがある。智は法華経によって中国南北統一仏教を樹立した人物であるが、智以前の南朝仏教では、涅槃経の説く常住法身と法華経の久遠実成の本仏とを対比せしめて、法華経の本仏は常住の仏身にあらずとする説が有力であった。その代表は光宅寺法雲(四六七−五二九)で、彼は自らの法華経注釈書の『法華義記』(これはわが国聖徳太子の『法華義疏』が本義として依用しているもの)の中で、仏身の不変常住性という観点から、法華経の本仏の寿命無量は、仏の神通力によって寿命を延ばしたもの(神通延寿)であり、有限の時間の延長はどこまでいっても有限であるから、法華経の本仏の仏身は無常であるとしたのである。これは涅槃経の法身常住説にひき較べて、法華経の久遠実成の仏を解釈し、これを有限な不完全な法身ととらえたということである。智は、右(※上)のような法雲の見解に対して厳しい批判を加えた。彼はまず、世親の『法華経論』によって、法華経を法報応の三身説によって解し、法華経には三身が説かれていることを力説した。そして、智に特徴的なことは、法雲が法身常住説に立って理解した久遠実成の本仏を、彼は報身として理解したということである。法身は真理を体とするものであるから常住不変ではあるが、そこには仏の人格的側面が捨象されている。 報身は真理と人格の二面を備えた普遍にして具体的な理想の仏身である。それ故、彼は久遠実成の仏を、真理と一体であり、かつ智慧というはたらきを有して応身として発現する根本の仏である報身とみなしたのである。もっとも、報身とはいっても、それは他の法身、応身の二身と離れたものではない。報身は法身と一体であるから法身を離れて報身はない。また応身は報身の具体的発現の姿であるから報身のあるところには必ず応身が活現するわけである。それ故、本来、法・報・応の三身は円満に相即しているものである。これを三身即一というが、三身即一でありつつ、そのなかでも報身を正とするのが智の久遠の本仏に対する解釈である。これは、久遠の本仏を単に法身の常住不変性という観点からのみ理解する解釈に対して、応身の活現、すなわち、衆生済度という具体的はたらきを重視するという、理解の立場の転換である。この点が従来の智以前の解釈との大きなちがいである。しかし、智は、法身常住説に立って法華経の常住性を不完全とした法雲に対抗するため、法華経にも常住が説かれているということを強く主張した。そのためか、久遠の本仏を「報身為正」としながらも、同時にまた常住法身にほかならぬとして、法身為本の旧来の解釈に引きよせられた点も存ずる。なお、智と同じく、法華経に常住が説かれていると強く主張して、旧来の南朝涅槃学派に対抗したひとに嘉祥大師吉蔵がいる。智と吉蔵の二大碩学によって法華経の常住性が強く主張されたために、常住性という観点から法華経より優位に置かれていた涅槃経のその地位が転落し、ために南朝涅槃学派が中国仏教史上からその姿を消したという。

 さて、智の報身を正意とするという解釈は、具体的現実の重視という観点からなされたものであったが、これをさらに一歩おし進めたのが日本の日蓮である。日蓮は、智が「報身為正」とした解釈を、さらに徹底的に現実重視という立場に立って、「応身為正」を主張した。応身とは、この現実の中に姿をあらわし衆生済度のはたらきを示す仏で、この応身の出現があればこそ、仏の真理のあらわれである法身が知られ、またその応現の根本である報身も知られるわけである。応身の衆生済度のはたらきは、仏の大悲によるもので、仏の大悲がある限り、過去・現在・未来の三世にわたって、衆生に応同して処々に出現し、そのはたらきのやむことはない。それ故、応身そのものも無始無終であるということになる。智は報身を正意となすとしたが、その報身は有始無終であり、応身は有始有終であった。しかし、日蓮は、応身そのものが無始無終であり、したがって報身も無始無終であるとして応身本仏説に立ったのである。日蓮のこの立場は、現在のこの具体的現実のただなかに久遠実成の釈尊の姿を見ようとするものであって、久遠の本仏に対する解釈はここにおいて究ったといえよう

 ここで経そのものにたち帰ってみると、経には、法・報・応の三身説はない。また、本仏・迹仏の言葉もない。ただ経は、目前の釈迦牟尼仏が、伽耶城近くで始めて成道したのではなく、久遠の昔に成道して、無量の寿命を保って今に法を説き続けていると説くのである。そして、滅度をとるというのも衆生教化の方便として仮りにその姿を示してみせるのであり、真に入滅するというのではない。未来においても、いついかなる時においても、仏を希求するものにはその姿を現すというのである。こうしてみると、従来の解釈は、法華経以後に成立した仏身論の概念をもって経を解釈したものであり、そのような解釈が経の真意をはたして正しく把えているかという点に問題がある。本仏・迹仏という把え方も、迹仏を価値的に本仏よりも一段低いものとして見るならば、それは法華経の正しい理解ではないであろうし、法・報・応の三身説にしても、法身常住という観点から見て、法華経のいう常住の不完全性を問題にしたりすることは経の原意から著しくはずれることであろう。寿量品で説かれた久遠実成の釈尊は、現実の目前の釈尊がそのままで時間を越えた永遠の仏であることを説いたものである。その意味では、日蓮の解釈が最も経の原意に近いといえるであろう。この久遠実成の釈尊の開顕により、あらゆる仏が釈迦一仏に帰せられ、しかもその釈尊は具体的現実であると同時に普遍にして永遠の存在として我々の前にあるのである


 いかがでしょうか?つまり歴史上の釈尊が今もいらっしゃり、未来永劫まで我々衆生を済度救済していただけるということです。本当に本当に有り難いことだと思います。その御本尊・久遠の本師釈迦牟尼仏をどう現すかということですが、古来よりその形態に三種類あります。1、大曼荼羅 2、一尊四士 3、一塔両尊四士 の三つです。まず、3の一塔両尊四士は大曼荼羅の上段部を仏像化したものですので、大曼荼羅に吸収されます。残りの1の大曼荼羅と2の一尊四士とどう違うのか?これについては『宗義大綱読本』(91〜92頁)を引用します。

 「同じ観心本尊抄の中で、本尊段では大曼荼羅、流通段では一尊四士であるから、両者は一法の異表現である。この点は報恩抄で本尊を示される時、もっと明瞭に表示される。《一は日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし。》と。《所謂》の前段は釈迦一尊、後段は一塔両尊四士である。しかし釈迦一尊は「本門の教主」であるから必ず四士を脇士とする。一塔両尊四士は大曼荼羅の上段部分である。そしてこの両者は《所謂》で結ばれるから、一尊四士と大曼荼羅とは聖人の内意においては同一御本尊の異表現に外ならない。」

 以上。ここまで文章ばかりでしたので、下に1〜3の本尊形態の写真を載せておきます。上から1:大曼荼羅(1280年 鎌倉市妙本寺)、2:一尊四士像(14世紀 市川市法華経寺) 、3:一塔両尊四士像(1343年 茂原市藻原寺)です。




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