大坂夏の陣 若江の戦 木村重成公霊牌所

 



東大阪市若江南町にある日蓮宗 蓮城寺(宮寺)のHPです。
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 由緒・略縁起



※上の額は延享元年(1744)6月に当山第7世了遠院日幸上人が寺社奉行に提出した由緒

 このお寺は、妙法山蓮城寺といい、日蓮宗(総本山身延山久遠寺)に所属します。はじまりは天平年間(729〜749)にさかのぼり、この土地には氏寺・若江寺があったとされています。平安時代には比叡山延暦寺第13代座主尊意僧正が若江寺に寄宿したことが伝記『尊意贈僧正伝』等によって知られます。おそらく天台宗系寺院として、また隣接する若江鏡神社の神宮寺として栄えたと思われます。

 その後いつしか若江寺は衰退し消滅したとされますが、南北朝時代には当地に若江城が築かれ、永禄年間(1558〜1569)には若江城主三好義継公の菩提を弔う香火寺として興隆していたとも伝わります。しかし、天正元年(1575)の織田信長公による若江城落城には若江寺も無住状態となり、その間堂塔伽藍の焼失を繰り返し、いろいろな宗派の遊行僧が再興をはかろうとしたことが上記の由緒からわかります。ことに元和元年(1615)の大坂夏の陣には、木村長門守重成公の本陣が近くに構えられ当地は戦場と化し、重成公の首実検のための処置も行われたと伝わります。

 元禄6年(1693)現在の京都市左京区にある日蓮宗本山頂妙寺第15世および千葉県市川市にある日蓮宗大本山中山法華経寺第39世になられた蓮性院日相上人が隠居するに際し、当地の因縁と若江寺の由来を惜しんで私財を投じ、堂宇を建立して復興いたしました。その時に寺号を蓮城寺に改め、以後日蓮宗寺院として現在に至ります。

 境内地には、日蓮聖人ご降誕750年を慶讃して昭和43年(1968)に建立した鉄筋建ての本堂、明治42年(1909)霊験顕著なことで近在の人々の信仰をあつめた当山第12世真光院日養法尼(仲西清観法尼)建立の妙見堂があります。また、山門を入って右手には明治半ば九州より清正公堂を移転し、大坂夏の陣木村重成公の位牌を安置。その霊牌所として有名です。通称、宮寺(みやてら)と呼ばれています。法脈は中山門流(日常門流とも称す)、住職は莚師法縁。

 尚、日相上人の墓地が愛媛県松山市日蓮宗法善寺の歴代墓地の隣にもあると御山主の村口泰則上人に10年以上も前にご連絡を受けましたが、未だに参拝できていません。日相上人は河内国出身で帰郷されたと推察していましたがその可能性は低いようです。また上人は小西檀林第18世も歴任されていますので全国に師弟が多かったのでしょうか。木村重成公の末裔の方々からの叔父であるとの言い伝えを時々聞きますが、年齢的にはむしろ甥子にあたります。ともかく大坂夏の陣若江の戦に絡んだ武将(徳川方も含め)のどなたかと姻戚関係にあったかと思われます。現在資料蒐集中です。


プロフィール:笹川行恒。昭和33年(1958) 5月大阪生まれ。昭和54年(1979) 8月日蓮宗第二期信行道場〈35日間 於:身延山〉修了。昭和56年(1981) 3月立命館大学理工学部化学科卒業。昭和57年(1982) 3月大本山池上本門寺随身生1年間修了。昭和58年(1983) 3月立正大学仏教学部宗学科[U部]卒業。昭和61年(1986) 2月日蓮宗加行所〈100日間 於:法華経寺〉第初行成満。昭和63年(1988) 3月龍谷大学大学院文学研究科修士課程修了〈仏教学専攻〉。平成16年(2004) 5月蓮城寺住職就任。日蓮宗修法師。日蓮宗専任布教師。日蓮宗勧学院研学。立正大学仏教学会会員。日本印度学仏教学会会員。

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